思考法 ー空創の扉の概要ー 目次
二人の男が向かい合って、どちらが右か左かをめぐって口論しているとする。
お互い自分の右手の方を右だと言い、左手の方を左だと言っている。
あなたはこれを見て、どう思うだろうか?
恐らく多くの人は、この口論を無意味だと感じるだろう。
しかしこの二人は、お互いに自分の方が正しいと主張して一歩も引かない。
あなたなら、この二人の主張に対し、どういう審判を下すのでしょうか?そして、その口論が無意味であることをどうやってこの二人に説明するのでしょうか?
この口論の原因は、向かい合った状態で右と左を決めようとしているところにある。だから、この二人に向かい合っていることを教えてあげれば口論が無意味であることを説明できる。交互に180度振り向かせてやれば、それは容易にできるだろう。
これは別の表現をすれば、相手の視点と自分の視点の違いを教えてあげることである。
これができればこの二人はお互いに、自分の考えが正しかったということと同時に、相手の考えも間違いではなかったということが理解できる。ただ二人の視点が違っていたことにより生じた意見の違いだったということに気付くだろう。
ここまでは誰でも当たり前だと思うだろう。
が、これは比喩であり、何の比喩かというと、多くの議論はこのような無意味な口論をしているということの比喩である。この場合でも、口論している当人たちは、互いに自分の考えが正しいと主張して一歩も引かない。
向かい合って左右を決めるという比喩は、視覚的だからすぐにそれが無意味であるところの原因に気付くが、多くの、別の主題に関する議論の場合は容易には気付かない。さらにそれを当人に教えるとなると、至難の業である。
一つの主題に関して、異なる意見を冷静に判断するためには各々の視点がどこにあるのかを考え、見極めなければならない。
この、二つの視点を見極めようとする立場からの視点、これこそがあなた(考える人)が保つべき視点である。
この視点から物事を考えれば、さまざまな異なる意見に振り回されないだけでなく、それらの意見が、どのようにして生まれたのかという原因まで知ることができます。
このような視点を、私は零(ゼロ)視点と名付けます。これは、プラスでもマイナスでもない視点という意味です。そしてこの零視点から物事を考える法を「零視点からの思考法」と名付けます。
この思考法でもって、はじめの例を考えると次のようになります。
「左右という方向は、それを決めようとしている人の正面がどこを向いているのかで変わるものであり、誰にとっても右、左、と断言できるような絶対的な左右という方向はない。だから、向かい合って左右を決めようとしても無意味である」・・・これは、あくまでも分かりやすい比喩を例に取っていることをお忘れなく。
なにかを考えるとき、この零視点に限らず他のどんな視点にしろ、絶対に変えてはいけない。最初から最後まで視点を統一しておかなければ、考えたことにより生まれた推測は、筋の通っていない無意味なものとなるから。
この「空創の扉」は、一部を除いてこの零視点からの思考法によって考察されたことが書かれてあります。
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