幻覚と幻聴
目次
・・・自分の意志で幻覚を生み出すのは相当な集中力を必要とする・・・(本文中より)
私は心理学、医学知識などはまったくないが、自分の変わった経験(自分の意思で幻聴を聞いていた)から幻覚、幻聴を考察し、その考察で得られたことから何かこれらの治療に役立つものを引き出してみようと思う。
そこでまず自分の経験(詳しくは「存在について」で述べてある)をまとめてみる。
1、私は幻聴をコントロールできるようになった。それは聞こえているものが外からではなく、頭の中からだとわかったから。
2、私は好んでその幻聴を聞いた。それは私の場合幻聴が不快感を与えるものではなかったから。
この二つを合わせて考察するとこうなる。ーーー私の場合幻聴は音楽だった。それも自分の好きな。
だからそれが外から聞こえてくるのではなく、頭の中で、つまり自分の頭が作り出しているということがわかってから、好んでこの幻聴を行った。
治療がまず目的にすべきところはここになると思う。つまり、
1、聞こえている(見えている)ものは外からではなく中からだということを幻聴(幻覚)者にわからせる。
2、そのためには幻覚、幻聴を不快感なものから当人にとって好ましいものに変える。
ここからの考察は、本来ならそれら幻覚者と思われている人の反応をみながら進めるべきものである。そしてその反応は千差万別なので、全てを網羅して考察することはできない。
だから概略をつかむことでよしとする。
前の考察文「存在について」で、言葉の「よるところのもの」でさえも我々はそれらはあたかも外から感覚したもののように感覚することができると述べた。幻覚はこれに含まれる。
まず幻覚のひどい人を想定しよう。彼は自分の頭の中にあるものを敏感に再現していると思われる。言葉の「よるところのもの」とは、この「頭の中にあるもの」の一つである。だから我々としては彼に、彼にとって好ましい言葉を与えなければならない。もちろんそのためには何が彼にとって好ましいものをあらかじめ知っておかなければならないが、例えば彼が「悪魔がさっきから窓の下にいて、オレを見ながらニヤニヤ笑っている」と怯えているような場合、「神様がさっきからあなたの横にいて守ってくれているのに気がつかないのか?」と言ってあげる。
この場合、単純に悪魔に対して神を持ち出したわけではない。この言葉の目的は「神」と言う言葉がおそらく彼にとって好ましいものと推測した上で、この「神」という言葉によって彼の頭の中に「神」という言葉の「よるところのもの」を思い起こさせ、あわよければ彼をしてその「神」を外に感覚させようというわけである。つまり、「神」という言葉を与えることにより彼の幻覚の中に神を登場させようというわけである。
反応1、彼の反応で彼が神を見てるようならしめたもので、次々と援軍を登場させ彼らに活躍してもらう。「ほら、その横に女神もいる。仏様もいる。やや!アポロン神とポセイドン神もやって来た」と言い「ほら彼らが悪魔を追っ払おうとしている。とうとう悪魔はゼウス神を見て逃げていった」という感じで彼の幻覚を利用するわけである。
私はいま決してこれをふざけて書いているのではない。
この場合彼が映像としてイメージできるようなものでなければならない。だから先に「ポセイドンを知っているか?」と尋ね、知らないようなら「ポセイドンとはこうこうこういう神で・・・」などとイメージ(よるところのもの)を与え、できれば絵も書いて与える方がいい。その後「実はそのポセイドンがさっきからあなたのそばに・・・」と付け足していく。「幻覚を利用してより幻覚がひどくならないのか?」という危惧に対しては後で述べる。
反応2、「神など見えない」と彼が言った場合。その場合は「実は私にもあなたの言う悪魔が見えない。これは私が幻覚を見ているのだろうか?あなたが幻覚を見ているのだろうか?二人とも幻覚を見ているのだろうか?二人とも本物を見ているのだろうか?ちなみに私が見ている神とはこういう・・・」といって下手でもいいからなるべく頼りがいのありそうな神の絵を書いて見せる。彼が映像にできるイメージを持っていない場合が有り得るから、それを与えるわけである。そして「あなたの見ている悪魔とはどんな姿、形をしているのか書いてくれないか?」と言うのである。これは反応1でうまく悪魔を追っ払った後に行う次のステップである。
これの目的は、まず相手が見ているものをこちらが知るということと、相手にその幻覚を観察させることと二つある。
相手の見ているものを知るということは、今度同じものを相手が見た場合、より具体的に相手のイメージに入っていけることになる。
例えば彼が書いた悪魔の絵に尻尾があれば、次に現れたときにこう言える「神が悪魔の尻尾をつかんで放り投げた」と。つまり言葉の内容が具体的になればなるほど「よるところのもの」は限定されてゆき、イメージし易くなる。彼もそれを言った本人に対して信頼を置くようになる。この場合、前と同じ悪魔かどうか事前に確認しなければならないが、間違ったとしてもうろたえることはない。「よくみてみろ!前と同じ悪魔だ」とあくまでも主張すればいい。そうすることにより彼の「よるところのものを」を揺さぶって変える効果があると思われるから。
この場合は自信たっぷりで主張しなければ効果は少ないだろう。
それでも相手が同調しないなら「前の悪魔とどこがどう違うのか私にはわからない。区別がつかない」と言ってその悪魔の特徴を引き出せばよい。
相手にその幻覚を観察させることの方はもっと重要で、最終的な治療に繋がるものだ。これは治療が目的にすべき1、聞こえている(見えている)ものは外からではなく中からだということをわからせるための第一段階である。
この目的は誰が聞いても当たり前だと思うだろう。それができないから苦労してるんだと・・・。
確かにこれは容易ではない。「存在について」で私はその区別ができないから人は存在の有無を確定できないと結論した。また他人と比べた場合どちらがより「真」であるかは判定できないともした。が、人は誰もが五感を駆使して限りなく確定に近い推測によって生きている。だから五感には絶大な信頼を寄せ、自分の五感を信用することの相対として他人の五感を疑う。実はここに出てくる彼(幻覚者)は私によって一方的に幻覚していると決め付けられている。この考察の目的はこれを許すことを条件にしないと何も考察できなくなってしまう種類のものだからだ。
私は無意識の内にこれに気付いて、前の考察で省いたのかもしれない。
また実社会で何か利用できることを考察しようと思えば、予め何かの条件が必要となるのではないだろうか?そのような条件下で考察された世界は、限定されたある一つの偏った世界にならざる得ない。
何かしらの「真」を求める考察者は、その世界をも含む世界を考察したがるものだ。そこにこそ求めている何かしらの「真」があるように思えるから。
話を戻し、私の感覚が正しく、彼の感覚は間違っている。そしてこの判断は正しいということを前提にし、そこから出発すれば「存在について」の考察とは様子が違ってくる。
それはつまりこうなる。
彼が見ている悪魔は幻覚であり、彼は彼の記憶からそれらの材料を引き出した。それを目と目から情報を受け取る器官の途中に混入させているか、本来なら思い出す方の部分で感覚されるはずのものが、目から入ってきた情報を感覚する方で感覚しているかのどちらかということになる。これを彼にわからせるためには
A、彼(幻覚者)が見ているものは彼が記憶しているものと同一であることに気付かせる。
B、その記憶していることが現実に存在し得ることかどうかを彼自身に考えさせる。
C、存在し得ないなら何故見えるのかを考えさせる。
Aを行うためには幻覚をよく観察させる。次に似たものを思い出す方で感覚させ、二つを比べさせる。
Bを行うためには幻覚の中で明らかに存在し得ないものを選ぶ。そして存在するにはおかしな点を考えさせる。
実践ではどのようにしたらいいか?Aに対しては、絵をできるだけ具体的に描かせ、それらに動きがあるのならそれを語らせる。次にこれに似てるものは何か聞く。これも出来るだけ聞き出す。(合成されている場合があるから)これらの過程で彼はそれを思い出す方で感覚することになる。その記憶のものと、幻覚してるものとの類似性を指摘し、それを彼に認めさせる。
Bに対しては例えばさっきの悪魔なら「悪魔とはその姿形を変える。悪魔を描いた絵も千差万別なのにどうしてあなたの知っている形でいつも現れるのだろうか?もし、その悪魔があなたに何かしようとたくらんでいるのなら、あなたの知らない姿で近づきはしないだろうか?」とわかりやすく論理的に彼の思考を疑問を抱く方へ導く。「それは実は神様があなたを試しているのではないだろうか?あなたが何も悪いことをしていなければ悪魔を恐れる必要はない。あなたが何か隠していないか神様が試していないだろうか?よくその悪魔を観察してごらんなさい、その後ろに神様が見えるかもしれない」という感じでいいイメージの方向へ導くのもいい。これはBの作業とは別のやり方だが、これについては後で述べる。
Bでは完全に彼に答えを出させる必要はなく、彼が自分の幻覚に疑問を持ちさえすればいい。そしてCに移る。
Cでは脳の驚異的な能力を教える。私が「存在について」で述べた夢の例などもわかりやすいと思うし、誰もが経験してるから受け入れやすいかもしれないが、全く逆の方法もある。「どこそこの権威ある大学教授の論文によれば・・・」と難しいことを言って「最近それが証明された」と締めくくる。この「それ」とは何か?脳の驚異的な能力のことである。それだけが伝われば良い。それがどのようにして、またどんなふうにということはどうでもよく、脳の能力の驚異さを装飾するのに役立てばよいのである。「そして人はこの脳の奴隷である。何人たりともこれに逆らって生きてはいけない。だからもし幻覚を見ることがあってもそれは本人のせいではなく、すべては脳のせいだ」と付け足す。これによって彼の自尊心と存在感を保護する。
そして彼の反応をみて、治療の方向にかなり傾いているようなら、またこちらの言うことを素直に受け入れるようになったなら、彼自身自分の視覚にだいぶん疑問を持っているはずであると思う。その時「実は私にはあなたの言う悪魔が見えない。今まで話を合わせていた・・・」と本当のことを告げる。
しかし、彼が無事これを受け入れたとしても万々歳とはならない。確かに私は治療の目的を二つ挙げ、ここまでがその道のりであるが、考察の途中でもう一つ大事なことに気がついた。
それは幻覚者が自分の幻覚を認めてもすぐにその幻覚が消えるかどうかという問題である。そして私はすぐに消えないと思っている。するとこういうことになる。・・・彼は幻覚を恐れなくなったが、相変わらず幻覚とそうでないものとの区別はつかない。だから実在の人を見て幻覚だと思い、危害を加える可能性は消えない。そこでこれまでの過程を治療とすれば、これからは社会復帰のためのリハビリである。
今の彼の状態は自分が見ているものの中に幻覚があることを認めている。それは自分の脳が作り出していることも。つまり彼は脳にそういう能力があることを認めている。
次に彼にやってもらうことは自分の意志で幻覚を作り出してもらうことだ。これは幻覚をコントロールするためである。
私の経験上、自分の意志で幻覚を生み出すのは相当な集中力を必要とする。私の場合、幻聴と気づいた直後はこれを楽に行えた。彼にもそういう実例があることを教えてそれを試みてもらう。もちろん幻覚の対象は彼にとって心地いいものでなければならない。
それが成功しようがしまいがどちらでもいい。成功すれば何度か繰り返すうちに幻覚している時とそうでない時の違いがわかってくる。この違いは言葉では説明できないが、例えば幻覚は現実ほど多種多様ではない。だいたい同じようなのが繰り返しでてくる。そうした違いに気づくようになれば完治は近いだろう。
成功しない場合だが、私はいまのところ何があの脳の再現能力を抑えてるのかはっきりした答えを持っていない。予感はあるがそれはこの後考察する「脳について」である程度明らかになるかもしれない。いずれにせよ何かが抑えていることは確かだと思う。自分の意志で幻覚を起こそうとすることは、成功、不成功にかかわらずこの何かを鍛えることになるのだと思う。
そう思う根拠は「私はあれほど幻聴を聞きたいと欲し、聞ければ毎日聞いていたにもかかわらず、幻聴は容易になるどころか日増しに困難になっていき、最後にはとうとうできなくなった」という自分の経験である。話を少し遡って「神様があなたを試しているのかも・・・」を思い出して欲しい。実はこれは治療の目的1が失敗したときのもう一つの治療法に繋がる。
ここで重要なのは悪魔以外に神様を彼に見せることにある。一番初めに戻ったとも言えるが、ここのねらいは幻覚に心地良いものが増えれば落ち着くようになり、そうなればより人の言葉に耳を傾けるようになって治療もしやすくなるという点だ。
それと、彼にとって心地良いものを彼に積極的に幻想してもらうことにある。彼にとって心地好いものなら積極的に幻想するだろう。そして積極的に幻想することは自分の意志で幻覚することと同じ効果があるかもしれないから。
目次
|