京都府山城町 『日没』 H14,1,16(H13,12,20)
燃えているという表現がぴったりの夕日
水彩ならではの表現方法で表してみた
12月20日 晴れ 弱風 パン。焼きうどん。御飯、味噌、鯖缶。
朝、公園の清掃作業員の人が7時頃に来たけど嫌な顔せずに「よく分かったな此処が、何時頃出発するつもりだ?できればもうちょっと早い時間にしてくれんかな、作業始めるんでな」と話しかけてきた。
9時に出発するつもりだったが8時過ぎにはテントを畳み、8時半に出発した。
そこから北に走り、もう一度法隆寺に行く。途中遠くの山並みと澄んだ冬の空とが良い雰囲気を醸し出していたので一枚絵を描く。
法隆寺ではやはりうまく描けなかった。法隆寺センターで宮大工の西村さんのビデオか流れていてこんな一言が耳に残った。「まず木があってそして道具がある。それからその道具を扱う人の心や技術がある」「道具や技術に木を当てはめるのではない。機械で木を切れば、木は寸法通りに切られる、単なる木材でしかなくなる」「風雪に耐えられる姿こそ建築本来の姿だと思う。だから千年は耐えられる建築を作らなければならない」
コンクリート建築は100年どころか50年ももつかどうか分からない。文化や技術ははたして進歩しているのだろうか?後退しているのだろうか?少なくとも建築に対する思い入れは減少しているだろう。それは昔は建築が宗教、信仰と密接に関係していたせいもあるだろうが。
法隆寺近くの小さな公園で昼にしたあと、西大寺へ向かう。西大寺はずっしりと重たい印象を受けたが絵を描く気にはならなかった。その近くの平安宮跡は気持ちの良いくらい何もなく、そこだけ太古の昔から時間がとまったような感じでよかった。ここで朝日や夕陽を描いてもいいなと思った。3時にそこをあとにして、国道24に出て京都を目指し北に向かう。
もう一日奈良県に居ようかどうしようかかなり迷った。ここまできて一日くらいあせってもしょうがないけど、もう一日あってもここに行きたいという所がない。ただ作品が揃っていないから一日伸ばしたいといういだけであって、回りたいところは回り、描きたいところは描いた。もうイメージが残っていないし、他に新しいイメージがないので移動することに決めた。
夕陽前までに出来るだけ北に進み、途中大きな橋の近くで夕陽を描いてから近くの河原にテントを張った。地図にはここに運動公園があると記載されていたがそれらしきものは何もない。