「空創の扉」の概要       戻る


0章「思考法」では、この『空創の扉』で使われている思考方法が説明されています。これを理解してから1章以降を読めば、理解しやすくなります。

1章「時間について」は独立したもので、題名通り時間とは何かを考察しています。これを飛ばして2章から読んでも差し支えありません。

2章 「言葉について」から5章「言葉による言葉の説明」までで私はまず、人が考えるということはどういうことなのかを考え、
その考えを伝えるためには言葉を必要とするので、言葉で説明するということはどういうことなのかを考えた。
そのために「言葉とはなにか?」とか、その他諸々のものを考察しました
 以上のことを考えることにより、考えれるものと考えれないもの、言葉で説明できるものとできないものを知ることができ、それによって闇雲に考えて視点がバラバラになるのを防ぐことにもなり、無用な考察を避けることにもなったのです。
 この2章から5章までは、それ以降の考察の仕方に大きな影響を与えるもので、かなり重要です。

6章「価値について」7章「空間と運動ー三次元とはー」では、「人が知るという行為」に係わることが考察され、それによって人が知ることができるものとできないものを明らかにする。

8章「感覚と記憶との間に起こる間違い」では、人が他人を説得することの困難を明らかにすると同時に、誰かと誰かの判断を比べることができない上に、誰にもそれらの判断を公平に審判できないことを明らかにしている。

 9章から12章までは連続したもので、私の変わった体験(自分の意志によって幻覚を聞いていた)を基に考察されている。
9章「存在について」では、私たちが存在の有無を確認できるか否かを明らかにしている。

10章「幻覚と幻聴について」では、私の経験から幻覚を考察し、その治療法の例を考察している。これは零視点からの思考法(これは0章で説明しています)で考察されてはいない。

11章「脳について −夢とはー」では、脳のいろいろな作業(集中するとか考えるとか)を分析し、脳の活動の仕方を推測した上で、夢を見るという行為が、脳のどのような活動によって行われているのかを考察している。

12章「脳についてU −幻覚ー」では、見る、聞く、などの五感や幻覚、夢、デジャヴュー、などがどのようにして起こるのかを、一つの簡単な図で図式化して説明している。

13章「或る阿呆が考えた数学」 14章「芸術のほんの一断片」 15章「空間とは ー存在についてUー」はそれぞれ独立したものです。どの章も他と共鳴する部分もありますが、単独で読めるものです。どれも題名通りの内容です。

16章から19章までは連続したものです。
16章{「意識と自我」について}では、意識や自我がなぜ、どのようにして生まれたのか、それらのために必要なものはなにかが考察されている。

17章{「己」とは ー心ー}では自他の区別がなぜ、どのようにして生まれたのかを考察した上で、魂と呼ばれているものの有無を考察している。
 そして、性格、感情というものが何により生じ、「心」といわれているものの正体を考察している。

18章「精神とは」では、精神と呼ばれているものがなぜ、どのようにして生まれたのかを考察し、精神病という状態などを説明している。

19章「快楽と苦痛」では、「なぜ欲にはきりがないのか」という命題を、快楽と苦痛という観点から考察している。

20章「金持ちと貧乏人」では、お金という価値を物語形式の対話で語っている。

21章{「そうあること」と「そう思われること」の違い}では、人が見ていないときに手を抜いてばかりいると、どういう状態になっていくかということが、個人的な意見で書かれている。

22章「人とは」では、私の個人的な「人間というもの」に対する意見と、零視点からの思考法で得られたものから「人間というもの」について書かれている。

最終章「この世界とは」では、零視点からの思考法によって得られたものを通して、この世界を叙述している。

 以上が大まかな概要です。必ずしも題名と内容が一致していないのは、わたしは結論を予測して考察せず(そうすると視点がずれ、ゆがんだ結果が でるから)どこに向かうかは分からない状態で、ひたすら1+1=2、
 2+1=3というふうに足し算をしていったからです。
 いうなれば、思考の足し算が、ここ「空創の扉」には記されています。

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